【橋梁談合事件】独占禁止法に抵触した「橋梁談合事件」について解説

2004年10月5日。

政府機関のひとつである公正取引委員会が、とある複数の鋼橋メーカーへ立入調査を行いました。

事件の発端になったのは2003~2004年の一年で、公共事業として計画されていた鋼鉄製の橋梁工事です。

この工事は旧日本道路公団が発注した事業ですが、工事の入札に関して、談合行為が行われているのではないかという疑いが掛けられていたのです。

そして、公正取引委員会は橋梁メーカーへの立入調査の結果、“独占禁止法”に違反する談合行為の疑いで8社を刑事告発することに。

一見、国が発注した公共事業の入札で、工事に携わる企業同士が談合行為を行ったように思える事件です。

しかし、この事件では橋梁工事を発注した側、旧日本道路公団の副総裁 内田道雄氏やその関係者も逮捕されています。

本稿では国ぐるみで談合に絡んでいた「橋梁談合事件(きょうりょうだんごうじけん)」についてお届けしていきます。

橋梁談合事件」の概要

橋梁談合事件では、旧日本道路公団が発注した鋼鉄製橋梁工事において、「紅葉会(こうようかい)」と「東会(あずまかい)」のグループに属する計47社の中で、入札談合が行われています。

工事の施工実績などから受注業者と入札価格などを取り決めておき、談合グループ内で情報を共有。

公共事業に入札する工事予定者が、あらかじめ工事を受注できるように手配しており、適正な入札競争に制限をかけていたのです。

ここで糸を引いていたのは、旧日本道路公団の内田副総裁と金子理事のトップリーダー陣たちでした。

彼らは鋼橋メーカー側の落札者選定を容易にするため、複数の工事に分割して発注手配をしていました。

つまり、犯罪行為の実行を裏から手助けしていたということです。

この行為で日本道路公団側に余剰なコストも発生し、最終的に独占禁止法に違反する形で、当時件に大きく関わった12名が有罪判決を受けています。

旧日本道路公団と談合組織の関わり


今回の事件でポイントになるのは、工事を発注した側と受注する側の関係性です。

旧日本道路公団は2005年に道路関係四公団民営化関係法令が公布されたことに伴い、正式に民営化しています。

その背景には官僚の“天下り”や“談合”など、実権を持つ政治家たちにとっては、何かと都合のつきやすい法人だったからです。

橋梁談合事件の中核を成す談合組織、「紅葉会(こうようかい)」「東会(あずまかい)」に属する47社は、それぞれが旧日本道路公団関係者たちの天下り先候補と考えられる企業でした。

この両者間での関係性こそ、当時件における重要な因子といえます。

事件で逮捕されたのは、主に談合組織で幹事としての役割を務める企業の関係者と、旧日本道路公団の関係者たちです。

事件の背景


ここまで談合行為ばかりが目立つ橋梁談合事件ですが、その実態を紐解いていくと、企業側にさまざまな事情があったことが分かります。

実は2000年代以降、鋼鉄製橋梁の市場が不況に立たされていました。

建設業も時代の変化に伴って市場のニーズは大きく変化していきます。

今まで軸になっていたのは「鋼鉄製橋梁」でしたが、「PC橋」の市場規模が伸びた影響が大きいと考えられます。

また、この時期では公共事業の減少に伴って、専門性が高いながらもマテリアルの代替わりという追い打ちが、想像以上の負荷になっていたのではないでしょうか。

実際、この事態に直面する企業の経営を考え、談合入札をすることで企業同士の共存と共栄を行うのが目的だと言われています。

まとめ

橋梁談合事件に関わっていた談合組織の47社は、2000~2004年に発注されていた公共事業の8割近くを受注できていました。

不況に悩まされた多数の橋梁メーカーが談合に荷担。

入札競争に飲まれる企業は徹底して排除していたため、独占禁止法の観点からも分かりやすい事件でした。

また、この事件に関与した法人23社に対し、合計で64億円ほどの罰金が課せられたようです。

企業同士の助け合いも方向性を見誤れば、「事件」になり得るということなのでしょう。