横浜国立大学理工学部建築都市環境系学科卒
一級鉄筋技能士
セメントに粗骨材や細骨材、空気に水を混ぜて出来上がるコンクリート。
コンクリートという建築素材は、紀元前から使われていたことが解っています。
そのもっとも有名なものが、ご紹介するローマ帝国を支えたローマンコンクリートです。
紀元前3,000年には、ローマンコンクリートと同じようなコンクリートが中国の大地湾遺跡で使われていたとも言われています。
現在のコンクリートは1824年イギリス人によって発明され、瞬く間に世界中に広がり、日本でも明治期の1880年には富岡製糸工場や八幡製鉄所などが建設されています。
世界に目を向ければ、19世紀、ヨーロッパのお城もコンクリートで作られています。そして、日本のお城もほとんどがコンクリート製です。
今回はそんな歴史の中に見られるコンクリート製の建物をご紹介していきます。
目次
古代ローマ時代から残る無筋コンクリート造の建物
古代ローマの建築技術・土木技術は目を見張るものがあります。
現在でも、アッピア街道や、導水橋や浴場、港など多くの建築物が世界各国に残っています。
そして、その技術の最たるものが、ローマンコンクリートの発明でしょう。
それまでの古代建築は、その多くが石積みでした。
石積み建築は、その加工や搬送、建築に時間がかかり過ぎるというデメリットがありましたが、ローマンコンクリートの登場により建築時間の短縮と、大規模建造物の建築といった、多くのメリットを生むこととなりました。
驚異の耐久性!海水を利用したローマンコンクリート
ローマンコンクリートは、ベスビオ火山の火山灰と石灰によってつくられています。
しかも、粗骨材として使われているのも火山岩と、ベスビオ火山の存在が大きく影響していることが分かります。
さらに驚くべきことに、これらの材料を混ぜ得るための水分が、“水”ではなく“海水”なのです。
現在のコンクリートは鉄筋を入れて作られるため、鉄筋の腐食を防止するということから、海水を使うことはありません。
しかし、ローマンコンクリートは海水で材料を混ぜています。
実は、古代ローマのコンクリート建築は無筋コンクリート造というのは有名な話で、鉄筋を使っていないからこそ、海水を使うことが出来るのです。
そして、この材料として使われている海水が、年月を追うごとに耐久性を増加させる役割をしているというのです。
ローマンコンクリートの耐久性、現在も残る建築物を見れば一目瞭然でしょう。
なにせ、2,000年たった今でも現存しているのですから。
ローマ建築は石積みやレンガ積みで型枠を作った
今も残る古代ローマ帝国の建築物。そのもっとも有名で、最大のものといえば「パンテオン」でしょう。
パンテオンのドームはコンクリート製としては世界最大と言われています。
また、世界各地にある円形競技場や円形劇場も有名ですね。
特に、ローマ市内にある「コロッセオ」は、テレビの旅番組や歴史番組などでも良く取り上げられていますので、誰しもが一度は目にしたことがあるのではないでしょうか?
そして、規模の大きさで言えば「カラカラ浴場」も外せません。
外壁に使われている煉瓦の多くが崩れ、その中のローマンコンクリートがむき出しになり、朽ち果てた外観が目を引きます。
無筋コンクリート造で知られるローマ建築は、現在の様に合板によってその形が形成されているのではなく、石積みやレンガ積みで型枠を作り、そのまま石やレンガを壁面の化粧として残します。
スペインやフランスに残る水道橋・導水橋も石やレンガを型枠としてローマンコンクリートで作られているため、今もその姿を残しているのです。
鉄筋コンクリート造の建築物の増加
ローマ帝国の滅亡と時期を同じくして、ローマンコンクリートも歴史から姿を消します。
ヨーロッパ全土にキリスト教が広がるとともに、その建築様式はレンガ積みや石積みへと姿を変えていきました。
そして、1824年に現在のコンクリートが発明されると、世界各地に鉄筋コンクリート造の建築物が増えていったのです。
ノイシュヴァンシュタイン城の建築
1869年バイエルン王国第4代国王ルートヴィヒ2世により、ノイシュヴァンシュタイン城の建築が始まりました。
ヨーロッパの城も、日本の山城と同じように砦や城塞としての役割が中心で、その代表的なものがネオクラシック建築としても有名な、現在のバッキンガム宮殿です。
しかし、ルートヴィヒ2世が求めたのは、中世ヨーロッパの、尖塔を持ったお城だったのです。
幼少期から神話や伝説の世界を愛した彼は、自身の趣味のためにノイシュヴァンシュタイン城の建築にお金をつぎ込み、その結果として国の財政を傾けることとなりました。
ルートヴィヒ2世は家臣たちによって精神鑑定を受けさせられ、精神病患者としてのレッテルを張られた挙句、廃位させられてしまいました。
廃位させられた翌日、謎の死を遂げたルートヴィヒ2世。
彼の死をもってノイシュヴァンシュタイン城の建築は中断されてしまいます。
ちなみに、このノイシュヴァンシュタイン城を設計したのは建築科ではなく舞台美術を手掛ける技術者だったとか。
機能性よりも見た目を意識して作られたお城であることが、このことからも判りますね。
日本のお城
さて、次は日本のお城についてご紹介します。
現在、各地にみられるような天守閣を持つお城は、織田信長の安土城が最初と言われています。
天守を持つ近世城郭の建築は江戸初期まで続き、3,000近くもの城が建てられたそうです。
ですが、江戸時代の「一国一城令」と明治時代の「廃城令」によって、その多くが失われることとなります。
さらに、第二次世界大戦中の空襲により、多くの城が焼失したことで、現存している天守閣はわずかに12城となってしまったのです。
もともと木造の天守閣を鉄筋コンクリート製で複製した
日本の城は、当然のこと木造です。
ですが、先ほども書いた通り、第二次世界大戦時の空襲で焼失し、当時のまま残っているのは以下の12城のみとなってしまいました。
- 弘前城(青森県)
- 松本城(長野県)
- 丸岡城(福井県)
- 犬山城(愛知県)
- 彦根城(滋賀県)
- 姫路城(兵庫県)
- 松江城(島根県)
- 備中松山城(岡山県)
- 丸亀城(香川県)
- 伊予松山城(愛媛県)
- 宇和島城(愛媛県)
- 高知城(高知県)
ちなみに、天守閣が焼失したのは全国で以下の7城。
その内、鉄筋コンクリートで再建した天守閣は水戸城以外の6城です。
- 名古屋城(愛知県)
- 大垣城(岐阜県)
- 和歌山城(和歌山県)
- 岡山城(岡山県)
- 広島城(広島県)
- 福山城(広島県)
- 水戸城御三階櫓(広島県)
鉄筋コンクリート製のお城は、これら6城だけでなく、時代の中で忘れ去られ朽ち果てた城や、無用の長物となり払い下げられたことで壊された城など、当時の姿をなくしてしまったものもあります。
その為なのか、海外からは「レプリカ」と揶揄されることもあるようです。
「木造による再建かそれともエレベーター付きのレプリカか?」論争が多発
さて、高度成長期に建てられた鉄筋コンクリート造のお城は、そろそろ建て替えの時期を迎えています。
木造で立て直すのか、もう一度鉄筋コンクリート造で立て直すのか、それとも耐震性能を考慮しながら補習をするのか、各自治体がその選択を迫られているのです。
例えば、岐阜県にある大垣城は、平成21年~平成23年に改修工事を行っていますし、大阪城も平成7年~平成9年に「平成の大改修」を行っています。
この他にも、改修を選択したお城も多いようです。
予算を考慮するなら、改修は最適な選択と言えます。
立て直すにしても、予算や工期などを考慮するなら、鉄筋コンクリート造が賢い選択といえるでしょう。
しかし、小田原城や名古屋城の様に木造による再建を目指しているお城もあります。
予算がかかり過ぎるというデメリットがありますが、「レプリカ」ではないお城を建てたいという思いは強いようです。
特に名古屋城は、河村市長の思いが強く「当時の姿」のままの再建にこだわり続けているため、エレベーターの設置やスロープの設置を希望する障碍者団体などと衝突しているようです。
エレベーターやスロープなど、高齢者や障碍者など利用できる施設を作ることを義務づけているハートビル法に則って建てられるなら、大阪城などの様に外部にエレベーターを設置する必要があります。
「当時の姿」にこだわり続けるのか、それともエレベーターを設置するのか、双方が納得できる解決策が見つかるのでしょうか?
まとめ
この記事では、欧州と日本のコンクリート史についてご紹介しました。
2000年前では、コンクリートは無筋で海水が使用されており、型枠は単なる石積みで作られたものが主流でした。
現代のコンクリートと型枠とは大きく異なっていますね。
日本では、第二次世界大戦中の空襲により、多くの木造の城が焼失してしまい、その復刻としてコンクリートの城が多く建造されてきました。
コンクリート建造物の歴史を振り返りながら、建造物を訪れてみるとよりコンクリート建造物が面白くみえるのではないでしょうか。