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宮城県政を大きく揺るがした「宮城県汚職事件」

1993年に公共事業の入札を巡り、世間で大きく取り上げられた「ゼネコン汚職事件」をご存知でしょうか。

大手のゼネコンが国会議員や県知事などに対し、多額の賄賂を贈ることで、工事を受注している事実が発覚した事件です。

この事件は同年の6月に、当時仙台市長を務めていた石井亨(いしい とおる)氏が逮捕されたのを皮切りに、総勢30人以上が逮捕される事態になりました。

引用:河北新報オンラインニュース

事件に関与していたのは何れも政治家や日本を代表する大手ゼネコンの大物ばかりです。

収賄罪で8人、賄賂罪で25人が逮捕され、後に“ゼネコン汚職事件”として大きく残ったのでした。

今回取り扱う事件は「宮城県汚職事件(みやぎけんおしょくじけん)」です。

ゼネコン汚職事件で逮捕された県知事は茨城県知事の竹内藤男氏と宮城県知事の本間俊太郎氏。

両名とも政治活動を通して多くの業界関係者と密接な関わり方をしていたため、事件の渦中に居た人物とも言えるでしょう。

「宮城県汚職事件」について

引用:NHK放送史

当時件で逮捕された宮城県知事の本間氏は、1990年代後半の箱物行政(はこものぎょうせい)の中で、公共事業の施工を行うゼネコンと癒着関係にあったとされています。

また、この時期の宮城県内ではさまざまな都市開発計画のプロジェクト動いていた時期のようでした。

特に公共事業においては、工事を受け持つという立場の実績を積んでいくほど、他社と比較しても圧倒的にイニシアチブを取りやすくなるなど、企業側のメリットが豊富です。

当然のことながら施工品質のレベルも高いものが要求されますが、普段からあらゆる大規模な計画を主導していくゼネコンにとっては当たり前の基準。

結果的に大手のゼネコン同士で、入札競争を行う流れについていけない建設会社は、あくまでサブコンとして計画に関わるケースが増えていきます。

これが一体何を意味するのか。

ビジネスにおいて「人脈」は重要なファクターであり、県政・市政と深い関わりを持つ人物と繋がることで得られる価値や利益は非常に大きいです。

つまるところ宮城県汚職事件は、ゼネコン汚職事件に総括される一つの事件に過ぎず、ゼネコンが公共事業に関わる工事を優位に受注するために起きたのが根本的な原因でしょう。

当時の宮城県知事“本間俊太郎氏”

事件で逮捕された本間氏ですが、かつて2003年まで宮城県の加美郡に存在していた中新田町の町長選挙に当選しています。

本間氏は1974年10月に立候補してから以降4期に渡り、町長の職務を果たしていました。

また、町長時代で代表されている業績としては、“音響効果日本一”のコンサートホールを実現した「中新田バッハホール(加美町中新田文化会館)」の建設に携わっています。

引用:Stereo Sound ONLINE

このホールの設計にはNHK総合技術研究所が関わり、“優良ホール100選”にも選ばれるほど音楽業界で高い評価を受けています。

本間氏は“世渡り上手”な一面も

引用:日本記者クラブ

町長としての成果を残し、俗に言われる町おこしを成功させた本間氏も1988年12月をもって中新田町長を辞職。

そして当時の宮城県知事を務めていた山本壮一郎氏の引退時期が重なり、そこに合わせて宮城県知事の選挙に立候補。見事当選するに至りました。

実は本間氏の県知事選挙を後押ししたのは日本社会党で、この時の立候補についても社会党衆議院議員と極秘会談を行うエピソードが知られています。

本間氏は当選後に、自民党側の勢力に寄ったために社会党との距離を置きましたが、社会党は本間氏をそのまま支持し続けていたようです。

街づくりには常に政治が絡み、そこには後ろ盾になってくれる強力なパートナーが必要であるという事実。

この原則を理解していた本間氏の柔軟性が、ゼネコンとの関わり方に影響した可能性はありそうです。

まとめ

今回紹介した「宮城県汚職事件」ですが、成果思考な本間氏の僅かな隙間に魔が差したとも解釈できます。

その発端となった真相や真意について詳しい記録はあまり残っていません。

ですが、本間氏が宮城県知事に就任したことで、宮城県の文化的価値を高めたり、宮城県民の生活をサポートするかのように、大きな社会貢献に注力しているのは明白です。

  • 「サン・ファン・バウティスタ号」の復元
  • 「宮城県図書館」や「東北歴史博物館」を建設
  • 「大崎市民病院(旧古川市立病院)」に救命救急センターを設置
  • 「宮城県立がんセンター」を設立
  • 「仙台空港」「仙台港」の国際化を推進

宮城県の発展に大きく貢献した事実は本間氏の中でも大きな誇りになっていたと考えられます。

そのことを裏付けるかのように、ゼネコンとの癒着が深まるようになっていた頃、本間氏はゼネコンに対して自身との取り決めを「天の声」としていたようです。

結果、1997年3月21日に東京地方裁判所から、懲役2年6か月と約1億円もの追徴金を要求される実刑判決が下されたのでした。

本間氏は著書も多数執筆しており、その中には本間氏の考え方を綴っているものあります。

気になる方は手に取ってみてはいかがでしょうか。

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