【ルーブル美術館】建設の歴史と役割の変遷、モニュメントの技術について解説

世界最大級の美術館であり、フランスの首都パリにある『ルーヴル美術館(フランス語:Musée du Louvre)』には、世界中からおよそ1,000万人もの観光客が訪れます。

ルーヴル美術館は、後世に残る文化的な遺産を伝えていく役割と、その芸術作品の保管を目的としています。その収蔵品数はおよそ380,000点以上にもおよぶとされ、そのうち35,000点が公開されているのです。

また、最も古い芸術作品は約7,000年以上前まで遡り、世界最大級の美術館に相応しい名作の数々を間近で見られることでしょう。

歴史的な画家たちの作品を収蔵する美術館だけあって、悠然たる佇まいにも魅力を感じる人は多いと思います。

今回ご紹介するのはそんなルーヴル美術館の歴史や、美術館を象徴するモニュメントに随所で見られる技術についてです。

もともとは要塞として建設された“ルーヴル美術館”

現在、世界中の観光客が訪れる大宮殿の起源は、12世紀にフランス王フィリップ2世がもともと要塞として使用していたルーヴル城が基盤になっています。

その歴史は古く、一説によれば1200~2011年の800年以上にわたって、あらゆる建築家たちが増設工事など、建物の改修・建設に携わったと言われています。

ですが、当時の要塞としての名残りも随所に残っており、380,000点以上のコレクションを収蔵するのに適した剛健な造りになっているとも言い換えられるでしょう。

ルーヴルの歴史と移り変わる役割

ルーヴル城は戦争の際、兵士たちを戦場に派遣するときに手薄になる都市の防衛を目的として生まれました。

特に懸念されていたのはセーヌ川と接合する部分。

ルーヴル城が防衛の要として機能しているのは、弱点を補える周囲を囲む濠と円塔の構造が関係しています。

この構造は後にフランス各地に点在する城にも似た構造が見られます。

代表的な城ではドゥルダン城というパリを中心としたイル=ド=フランス地域圏の建物が有名です。

中世ヨーロッパの時代、時の遍歴を重ねて幾多の改築工事を受けてきましたが、“賢明王”の名称で知られる14世紀のフランス王、シャルル5世はルーヴル城を城館(貴族などの別荘)に造り替えました。

さらに時が流れていき、イタリア発祥の「ルネサンス様式」への改築なども行われています。

もともと要塞としての役割を担うルーヴル城は「要塞」→「城館」→「宮殿」→「アトリエ」→「美術館」と、大きく役割を変えていったのでした。

ルーヴル美術館もう一つのシンボル「ルーヴル・ピラミッド」の技術

「ルーヴル・ピラミッド」はナポレオン広場に設置されたピラミッド状のモニュメントです。

1989年に竣工したこの建造物は、ファッション、芸術、文化の中心地を代表するランドマークとして広く知られています。

ピラミッドは建築家のイオ・ミン・ペイ氏によって考案され、格子状に組まれたステンレス製の金属フレームにはめ込まれています。

また、ルーヴル美術館への来客をロビーで分散させる目的と設計思想があるようです。

ショッピングセンターに設置された「ルーヴル・逆ピラミッド」の造り

画像引用:一般社団法人 ジャパンプロモーション

1993年にオープンした地下施設「カルーゼル・デュ・ルーヴル」内には「ルーヴル・逆ピラミッド」なる採光窓が設置されています。

複雑なフレーム構造には高い耐震性能を追求し、DPG(ドット・ポイント・グレージング)構法と呼ばれる強化ガラス同士の構成に適した技術を採用。

天井から逆さまに吊り下げられたガラス製の逆ピラミッドと、石で造られたピラミッドが向かい合うシチュエーションはあまりにも有名で、名前を知らずともテレビや雑誌で目にしたことがある方も多いのではないでしょうか。

このモニュメントは昼間の光の差し込み具合で、プリズムのような反射で辺りを明るく照らし、夜間はライトアップされます。ルーヴル・ピラミッドと併せてルーヴル・逆ピラミッドも観光名所の一つになっています。

建設当初は嫌われていたルーヴル美術館のモニュメント

画像引用:Heavy.com

フランス第21代大統領のフランソワ・ミッテラン氏が現職中に建設されたルーヴル・ピラミッド。

このモニュメントが建つ前、ルーヴル美術館の中庭ナポレオン広場は駐車場でした。

竣工から年月が経った今でこそパリのシンボルですが、当時ピラミッドの建設計画には多くのパリ住民が反対していたようです。

しかし、クラシックな世界観とモダンテイストの見事な融合を称賛する声があったのも事実。

反対されていた理由の多くは、ルーヴル美術館の古典的な建築様式に、ガラスと金属フレームで構成された近代建築は景観を損なうという声があったからです。

現在では美術館名物の一つとされているので、モニュメントが結果的にプラスになったとも言えるでしょう。

まとめ

今回紹介したのはルーヴル美術館の歴史と役割の変遷、ルーヴル・ピラミッドについてでした。

世界的に影響力のあるカルチャーを発信し続けているフランスだからこその先見性を備えたモニュメント。

ルーヴル美術館はフランスの歴史に深く関わっている建物で、これからも芸術家たちが残した多くの名作を展示し続けるでしょう。

もし、フランスへ旅行に行く機会があれば行かないという手はありません。

ぜひ、その目でルーヴルが紡いできた歴史の片鱗をご覧いただければと思います。

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