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建設産業をとりまく現状について


冒頭に

世の中の浮き沈みに左右される建設業界、それはひとえに土木業、建築業の建設業が日本のインフラストラクチャ建設に寄与し、日本を造ってきたからにほかなりません。第二次世界大戦が終わって焦土の地と化した日本が『Japan as Number One』とまで言われるほどに登り詰めた輝ける時期がありました。それもすべては基盤を作った建設業があったからです。建設業が無ければ今の日本の現状はありえなかったといっても過言ではありません。高度成長期やバブル期にはその基盤を利用して多くの建築物や構造物が建設されました。そして、そこから生産された多くのモノが当時の日本国民に生活の豊かさを実感させたのです。また今、時代は変わり、モノも情報も『所有からアクセス』へと変わっています。歴史を振り返り『建設産業をとりまく現状について』考えてみたいと思います。

冒頭に申し上げます。歴史は繰り返されます。これはまた戦争が起きるという意味ではありません。この戦災に匹敵するような不可抗力の自然災害などに人類はどうしても遭遇してしまいます。そこからまた同じ営みが繰り返されるということです。それくらい人間は自然と比べるとちっぽけでその人間のやってきたことは自然にはかなわないのかも知れません。

でも、人間の作りあげてきた土木、建築の建造物は素晴らしいものばかりです。ただ一つしっかりしておかなければならないのは、世の中の動きに左右される建設業が世の中を動かしたり、自然を打ち負かすことが出来るなどと勘違いをしてはいけないことです。

戦後復興期の日本、高度成長期の日本の公共インフラの整備期

1945年第二次世界大戦は終結し、日本は敗戦国となりましたが、日本人は下を向き続けるだけではなく前を向きがむしゃらに働きだします。

まずは土木です。もともと日本の土木技術が高度を極めた理由は日本が持つ地形であり、風土です。加えて日本人の勤勉さをもって世界でも有数な土木技術を持てるようになったのです。

治水用水技術は農業を発展させ、巨大構造物であるダムは自然エネルギーを利用しての電力発電のためであり、治水用水のためでもありました。日本の国土の75%が山であることに起因する必要に迫られた土木技術の発達でもありました。これにより莫大な電力を消費する重工業の工場も建設されました。これらの工場が製造する製品の材料になる天然資源は輸入に頼らなければならないため、海岸を埋め立てて建設されました。ここにも高度な土木の埋め立て技術や灌漑技術が使われることになりました。そして敷設された鉄道網は日本中に材料を運び、製品を運び、人間を運びました。これも土木の鉄道敷設技術です。道路網も瞬く間に広がってモノも人も移動が鉄道以上にたやすくなりました。東海道新幹線も東名高速道路も戦後復興の象徴とされた東京オリンピックに向けて建設されたのです。

着々と戦後は終わりを迎えていくのです。

・黒部ダム1956年着工、1963年完成

・東海道新幹線開業1964年

・東名自動車道路開通(東京~小牧間)1969年

公共投資から民需への時代

インフラ整備の公共事業が形を成してくると次は民間の活力が日本国土に湧いてきました。

大電力消費の重工業の工場建設、鉄道の駅舎、道路でのトラック輸送での拠点整備、そのトラックや自動車を作る工場、整備工場すべてが建築によるものです。そして、各拠点の周りには関連企業も集まり、事務所もできます。働く人間の住居が出来れば生活に必要な学校も病院も店舗も出来ます。町が出来上がるのです。一億総中流社会などという言葉が出てきた1970年代にはそれまで公共機関からの発注が中心でしたが、民間企業からの発注が目立ってきます。

・高度成長期1950年~1964年(東京オリンピック)

・霞が関ビルディング竣工1968年

・日本列島改造論1972年

終戦時日本が構想したとおりに公共に育てられた民間企業は力を蓄えて設備投資に注力していきます。

・バブル景気1986年~1991年

公共事業が落ち着きインフラの主体であった土木事業(基盤整備)から民需による設備投資にバトンタッチされ、建築事業が主体となって世の中は再び動き出しました。

住宅投資の拡大と今後

1970年代の一億総中流社会に向かって日本人はみな経済的に余裕を持てるようになり、自身の生活に目を向けるようになります。生活の基本である『衣・食・住』です。『衣』においては若い男性はグループサウンズの服装をまねして、女性の間ではミニスカートが流行ります。経済的余裕はそれほどの自由をももたらせました。そのころには膝や尻につぎはぎのズボンをはく子供たちは珍しくなります。『食』においてはインスタントコーヒーや即席カレーのルーが発売されたのもこの頃です。嗜好品にまで一般家庭においても手が届くようになったのです。

そして、『住』です。日本のもともとの『住宅』は戸建ての木造です。戦後復興の中、国はいろいろ考えます。足りない住戸を供給する急務の中、その中で一つの課題となったのが『不燃住宅』、そしてたどり着いたのは鉄筋コンクリート造の2DKの公団アパートでした。この風呂・トイレが戸内にある2DKのアパートが家電製品の三種の神器『白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫』とともに当時の日本人の憧れの住まいでした。

・日本住宅公団設立1955年

・日本住宅公団第一号団地(大阪・金岡団地)1956年

『衣・食・住』の『住』、私たちの生活から切り離すことは出来ず、人生において一番高い買い物となる『住』です。終戦直後7,200万人だった日本の人口は現在12,600万人です。しかしこの先は誰もが周知のように人口減少へと向かいます。当然住宅新築着工件数は減少していきます。ゼロになることは無いでしょうが、改修へと方向は変わっていきます。個人消費の中で大きな比率を占める住宅投資の拡大は新築から改修へ、移行していきます。ここに価格ばかりではなく、いかに付加価値を付けていくかが今後の方向が左右されるところでしょう。サステナブル、持続可能な中古マンションであったり、中古の戸建てがあってもいいと思います。今のタワーマンションの50年後、60年後の姿は建設会社も設計事務所の担当も考えてはいないようです。その戸数の多さや住人の所得層の違いのために半世紀後に想定される対応の難しさだけを皆ひそかに囁くばかりです。

自然災害の激化と今後の公共投資

近年頻発する地震、阪神淡路大震災や東日本大震災。巨大化する台風などでの風水害、2018年の台風21号は関西国際空港を閉鎖させ、2019年の台風19号はまだ記憶に新しく、今なお各地にその爪痕を残しています。これらの被害を『想定外』の一言で片づけられてしまうのは人間の傲慢さではないでしょうか。降れば大雨や、巨大台風は今年始まったことではありません。今回のような被害は日本全国どこででも今後想定されることでしょう。戦後復興から半世紀以上が過ぎてインフラストラクチャの老朽化や変わりつつある気候に合わせて、さまざまな基準を変えて『想定内』での対応が出来るようにしなければなりません。そして、今年度見直された国土強靭化計画の3か年緊急対策の中の『ハード施策』は建設業でなければ対応出来ないことばかりです。冒頭で述べた通りのインフラストラクチャの再構築の機会がやってきたということとなります。3か年での計画・設計・施工はあまりに急務です。しかしそれくらい差し迫った状況に日本が置かれているということになります。緊急対策工事は利が良いのが通常です。ここは一番、地方の中小建設業は努力して受注して良い仕事で地域に名前を残すチャンスです。今後の、地方の中小建設業者が生き残っていくための一助となってくれたらよいと思います。

・阪神淡路大震災1995年

・東日本大震災2011年

・北海道胆振東部地震(ブラックアウトの発生)

・台風21号2018年(関西国際空港閉鎖)

・台風19号2019年(千曲川、阿武隈川ほか決壊)

建設産業での緊急の課題

建築業界では2020年の東京オリンピックが峠でその後が下降線だと一時期話題になりましたが、断わらざるを得なかった工事を手持ちとして2020年以降に残していることもあったり、関西では2025年の大阪万博も控えており、急激な受注量減とはならないようです。そして住宅の改修という大きな柱もそびえ立ちます。土木業界は前述の国土強靭のための老朽化したインフラストラクチャの補強ややり替え、新規での工事が出て来ます。

そこで出てくる最大の問題は『人手不足』です。今すでに既出の問題でもある人口の減少、生産年齢人口の減少とも絡まる社会問題です。これは民間企業レベルで取り組める問題ではないでしょう。海外からの人材の確保、教育の問題の解決、この海外からの人材も含めたうえでの『働き方改革』、その解決策にもつながる建設業界へのAIの導入である『i-Construction』等、建設業界は今まで経験してこなかった新しい問題に直面しています。官民合わせての力でこれを乗り切り、再び公共事業が息を吹き返すかのように増え始め、嵐のような忙しさが終息する頃にはその先の新しい世界が見えているかも知れません。今後の日本の未来を背負う若者たちがたくさん飛び込んでくる魅力ある建設業に育てるのはこのチャンスを逃してはならないでしょう。今ならば出来る、今やらねばならない時期にさしかかっていると建設産業をとりまく現在の状況を理解するべきだと思います。

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